田川市の交通結節点である後藤寺に君臨する後藤寺バスセンター。かつては17番乗り場まで設置され待合所はすし詰めの大盛況だったそう。
しかしながら炭都田川における炭坑の斜陽化とそれに伴う急激な人口減少、モーターリゼーションの進行、地域内の旅客輸送に徹する三セクの台頭により田川におけるバスの地位は低下、結果としてバスセンターを発着するバスもダイヤ改正の度にその数を減らしていくことになりました。そして19あった乗り場はやがて9まで減り、その9つの乗り場すべてが使われることさえもなくなり、窓口や待合室も閉鎖され、徐々に徐々にその死期が迫ってきていましたが
ついに西鉄が9月30日を以てバス乗り入れ廃止を発表しました。
穴だらけの乗り場案内に運賃表がかつて田川に多くのバス路線があったことを物語っています。
そしてつぎはぎだらけの案内やかすかに見える夜行バスの看板など時代を感じる遺構も。ここにも夜行バスがやってきていた時代があったとはにわかには信じられません。他にも中津・大分方面にいでゆ号が運行されていたそうで大分交通も乗り入れていたようです。大分交通のほうが若干ながら西鉄の特急バスより運賃が高く、後藤寺からの乗車はあまりなかったんだとか。
死期を悟っていたのか末期のダイヤ改正時にはのりばの上にあった時刻掲示は白く塗りつぶされ、下に時刻表が掲出されるようになっていました。
巨体に吸い込まれるように乗り場へ入っていくバスたち。特急系統や添田方面の路線は柱より右側で糸田、金田方面の路線や小倉方面の快速は柱より左側に入るという法則(?)があったのですが初期のバスセンターでは一体どのようになっていたのでしょうか。
絶妙な位置にある柱は大型バスが入る時にぶつからないか冷や汗ものでした。
わずかながら縦列停車をする時間帯もありました。昔は日常茶飯事だったことでしょう。
バスのほかにハトもよく止まっていました。辺りの道にはネコがいたりも。
そしてもう1つ、後藤寺バスセンターは映画館としての顔も持っていました。外壁に残るターミナル会館の文字や上層階への階段、そしてだんだんと下がっていく天井の形からその名残がうかがえます。
テレビのない時代、庶民の代表的な娯楽といえば映画を観ること。ということもあって田川市内にも各地に映画館がありましたがこれも人口減少やテレビの普及により急速に減少し、最後まで残ったここターミナル会館も1988年にその幕を閉じることになりました。遠い昔にあった映画館のようですが当時は劇場版ドラえもんも上映されていたようでそこで少し親近感がわきました(
たくさんの思い出を映し出したターミナル会館、たくさんの思い出を乗せて出発していった後藤寺バスセンター。また一つ炭都田川の思い出が消えていきます。